<rss version="2.0" xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/" xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"><channel><title>企業 | MSX 35th Anniversary (unofficial)</title><link>https://msx35th.theblog.me/posts/categories/1159794</link><description>企業の一覧</description><atom:link href="https://msx35th.theblog.me/rss.xml?categoryId=1159794" rel="self" type="application/rss+xml"></atom:link><atom:link href="http://pubsubhubbub.appspot.com/" rel="hub"></atom:link><item><title>1998.3.18 コンパイル倒産</title><link>https://msx35th.theblog.me/posts/4262710</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;一般的には『ぷよぷよ』、MSXユーザー的には『ディスクステーション』で有名だったコンパイルが、この日広島地方裁判所に和議(いまでいう民事再生法のようなもの)を申請し、事実上の倒産となった。負債総額は約75億円であった。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;『ぷよぷよ』に次ぐヒット作に恵まれなかったこと、社員を大量採用したこと、グループウェア「POWER ACTY」が大失敗に終わったことなどが理由と考えられる。当時はいわゆる「氷河期」であり、内定を取り消された学生たちにとってはあまりにも無念だっただろう。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;この直後に開催された「東京ゲームショウ」にコンパイルはブースを出展していた。ブースのパーティションは励ましのメッセージで埋め尽くされたという。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;『ぶよぷよ』も『ゴルピーのパイプライン大作戦』も、もとはMSXの投稿プログラムがきっかけだったとか。また『ディスクステーション』がMSX界にもたらした功績は計り知れない。しかし、企業とは存続してなんぼとも言えるのだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;ちなみに当時の社長であったMOO仁井谷氏は最近ちょくちょくテレビに出演している。どうやらまだあきらめていないらしい。&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Wed, 18 Mar 1998 00:00:00 +0000</pubDate><guid>https://msx35th.theblog.me/posts/4262710</guid><dc:creator>flower_highway</dc:creator><category>企業</category></item><item><title>1990.10.26 NEC・大内相談役(当時副社長)の回顧録</title><link>https://msx35th.theblog.me/posts/4028982</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;この年(筆者注:1983年)、私が考え込んだ「事件」のひとつが6月に発表されたMSXです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;発表前にアスキー副社長の西君が僕のところに来て「日本電気がPC-8000をやっているのは知っているが、それはそれとしてMSXにも参加してくれ」と随分頼まれました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;いくら8000がいいといっても、これは日本電気だけのものですからね。お得意先にすれば、選択肢が増えるわけです。そう考えれば賛同した方がいかもしれないと、いろいろ悩みました。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;今でも思い出すのは6月に東京・大手町の経団連会館で開かれたMSXについての記者会見です。最初、僕は「その会見に参加しない」と言っていたのだが、西君が「とにかく出席して一言しゃべってくれ」と言う。それで変なあいさつをしたんです。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;【記者】MSXの規格発表に出ないのも一つの意思表明ですが、出た上でキチッと「参加しない」と言うのも第三者に与える心理的効果は大きかったのではないでしょうか。これでサードパーティも安心したでしょうから。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そうですね。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;【出典】日経産業新聞 1990年10月26付より抜粋&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;…さすが西さん、強引だ。(汗)&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Thu, 25 Oct 1990 22:00:00 +0000</pubDate><guid>https://msx35th.theblog.me/posts/4028982</guid><dc:creator>flower_highway</dc:creator><category>企業</category></item><item><title>1986.4.2 アスキーとマイクロソフトの提携解消</title><link>https://msx35th.theblog.me/posts/3978450</link><description>&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&lt;p&gt;パーソナルコンピューター用ソフト開発の大手、アスキー（本社東京）の郡司明郎社長と西和彦副社長は日、東京・大手町の経団連会館で会見し、提携関係にある米マイクロソフト（本社シアトル、会長ビル・ゲーツ氏）との間で提携解消で合意、現在解消の時期、共同で開発したソフトウエア商品の権利問題などについて協議していると発表した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;両氏によると、交渉での焦点は日本製十六ビットパソコンの基本ソフト（ＯＳ）である日本語ＭＳ―ＤＯＳの取り扱いや家庭用低価格パソコンの標準規格「ＭＳＸ」を今後どちら側で販売していくか。いまのところ結論は出ていないが、マイクロソフト側が日本語ＭＳ―ＤＯＳを、アスキー側がＭＳＸをそれぞれ所有することで決着しそうだ。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;【出典】日本経済新聞 1986年2月6日付&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;&lt;hr&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;div&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&#x9;&lt;p&gt;&lt;p&gt;&lt;p&gt;やっぱりあの噂は本当だったのか－－というのが、わが国パソコン関係者の共通の思いだった。というのも、前年の暮れあたりからアスキーにまつわるキナ臭い噂が業界に流れていたからである。曰く、マイクロソフトがアスキーを買収するらしい。曰く、西がアスキーを辞めるらしい。曰く、西は新会社をつくって独立したがっている。曰く、ＩＢＭがマイクロソフト買収に走りそうだ……。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;こんな噂が業界を飛び交っていたのである。噂の真偽はともかく、火のないところに煙は立たない。業界ウォッチャーたちはアスキーの動向に耳目を集中していた。そこに日経のスクープである。記事の真偽を確認するための取材申し込みがアスキーに殺到した。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;p&gt;後の四月二日には東京会館のシルバールームでマイクロソフトとアスキーの合同記者会見が予定され、ビル・ゲイツも出席することになっていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;p&gt;－－西さんも当然出るんでしょう？&lt;/p&gt;&lt;p&gt;そもそもアスキーとマイクロソフトの蜜月の関係は西とゲイツの親交をベースに成り立っていた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;p&gt;「いや、西は出しません。彼が出ると、彼の去就などに記者の方々の関心が集中し、本来の記者会見の目的がずれる危険性があるから……」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;しかし本書のためにインタビューした際、西は、「じつはあのとき、ボクは隣りの部屋にいたんだよ」と真相をぶちまけた。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;p&gt;「郡司が、お前はゲイツを殴りかねないから出るな、と言うんで出なかったの。出ていたら本当にゲイツを殴っていたよ、きっと」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;(中略)&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;p&gt;でも、路線対立は喧嘩別れの本当の原因ではない、といまになって西は言う。&lt;/p&gt;&lt;p&gt;「これは初めて明かすことだけど、マイクロソフトにいた日系の海外担当副社長がボクにいじわるで、あることないことをビルの耳に吹き込んだの。で、ビルがボクやアスキーに不信感をもつようになった。つまりマイクロソフト社内の派閥争いのトバッチリを食ったわけ。」&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;p&gt;&lt;p&gt;ただし、マイクロソフトとの訣別で西がすごく頭に来たことが一つある。それが合同記者会見に出たらゲイツを殴っていたかもしれない最大の理由だった。&lt;/p&gt;ゲイツが、こともあろうに、アスキーの取締役ソフトウェア開発部長の古川享をマイクロソフト日本法人の代表取締役社長としてスカウトしたからである。古川はもともと西が直接口説いてアスキー出版に入社させた秘蔵っ子だった。古川は成毛真（現社長）ら十数人の部下を引き入れてアスキーを集団脱走した。&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;br&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;【参考】『西和彦の閃き 孫正義のバネ』小林紀興著、光文社&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&lt;p&gt;&lt;/p&gt;&#xA;&#x9;&#x9;&lt;/div&gt;&#xA;&#x9;</description><pubDate>Wed, 02 Apr 1986 06:00:00 +0000</pubDate><guid>https://msx35th.theblog.me/posts/3978450</guid><dc:creator>flower_highway</dc:creator><category>企業</category><category>有名人</category></item></channel></rss>